はじめから読まれる方はここから
マンションの部屋のドアを、拓真はゆっくりと、出来るだけ音の出ないように開けた。
露海と拓真の約束は、うちに帰っても、佳苗や玲王に気づかれないように、
静かに音も声も立てずに、拓真が良いと言うまで黙って拓真に付いてゆく事だった。
露海は約束を守ると指切りした。
指切りした限りは、破ったら針千本飲まされる。
露海は忠実にそれを守り、口を自分の手でふさぎながら、うちに入っていった。
「ごめんなさい。ごめんなさい・・。」
佳苗の謝る声、泣いている様な声が聞こえた。
露海は思わず手を口からはずし、声を出しそうになった。
が、すんでの所で拓真に口をふさがれ、抱きかかえられたままダイニング入り口の、内ドアの前に座り込んだ。
ママが泣いている。おにいちゃんがいじめたの?
「もう、泣かないで下さい。俺、何て言って良いか判らなくなるから。」「・・・ごめんなさい。
でも、玲王を育てられなかった事、今まで会えなかった事、何て言って謝っていいか。
決して玲王を捨てたわけじゃないのよ。
この十二年間忘れた事は無かった。」
拓真は口に人差し指をあてて、声を出さないように、という仕草をしたので、露海は黙って頷いた。
「ほんとに?本当に、俺を捨てたんじゃないの?」
「もちろんよ。
今まで会わなかったから、信じられないかもしれないけど、
私は玲王を引き取って、私の手で育てたかったの。」
「それ、本当なの?」
玲王は少し声を上げた。佳苗の声がさらに続く。
「本当よ。
自分の生んだ子供と別れたい親なんて、いるわけないじゃない。
ほんとは引き取るはずだったの。」
「じゃあ、どうして俺はおとうさんに育てられたの?
どうして一度も会えなかったの?」
佳苗の声が途切れ、少しの間沈黙があった。
「私もね、玲王と同じで父と母が幼い時に離婚してね、母に育てられたの。」
玲王は黙って聞いているのか、佳苗の声だけが聞こえる。
「父とは一度も会った事がなくて、やはり玲王と同じくらいの時、
母のタンスの引き出しから父の住所を偶然見つけて、
何の連絡もしないで、会いに行ったの。
・・・よくわからなくてね、探したわ。」
「会え・・・たの?」
「会えなかった。
・・・って言うより、会わなかったの。
家はね、見つけたのよ。
一戸建ての庭付きの家でね。
もう夜になってたんだけど、表札で父だとわかった。でも・・・。」
「でも?」
「庭木の間から中が少し見えたの。
そしたらね、男の人と女の人と子供がいてね、楽しそうに夕ご飯食べてた。
ふふっ。
たぶん、父と父の奥さんと、その子供だったんじゃないかな。」
「どうして、会わなかったの?
俺だって・・・同じじゃないか。」
「そうね、今の玲王と私は同じね。でも、大きく違う事がある。
父は私の来る事を知らなかった。だから、入れなかった。
入っちゃいけないと、思ったの。
今の玲王は、拓真も露海も、来る事が判っていて、ちゃんと迎えてくれたでしょ。
でも、私は突然行ったから、父が困ると思ったの。
だから、黙って帰ってきた。それっきりよ。」
露海と拓真は膝を抱えて動けなくなっていた。
拓真に念押しされるまでもなく、露海も、声を出してはいけないと思ってきたのだ。
ありがとうございました。
左のポチ 感謝しております。